Jの衝動書き日記

さらりーまんSEの日記でございます。

私が投票に赴くただひとつの理由

今回の選挙の結果がどうなろうと、おそらく変化は訪れる。それがどんな形だろうと確実に変化する。ただ、今回の選挙で景気がよくなったり、世の中の諸問題が解決したり、というのは多分ない。変化といっても自分の望ましいものではなく、むしろ悪い影響の方が大きいとは思う。基本的に政党は独身者には冷たいからだ。少なくとも自分の生活が、今度の選挙結果で劇的に変わるということはありえない。なぜなら、自分の生活を守ってくのは、結局は自分の責務になるからだ。投票という行為は自分の利益には直接は結びつかない。結びつくのは、候補者を熱心に支援した人だけだろう。

では、なぜ選挙の投票に行くのか?

はやい話が愚痴るためである。仕事帰りの飲みで、やれ仕事がないのは政治が悪いからだと愚痴りあい、景気が悪いのは政治が・・・、日本が元気がないのは政治が・・・、世の中が不安だらけなのは政治が・・・、彼女が出来ないのは政治が・・・、(とこれは関係ないか)という愚痴ネタにするためである。そういう毒を吐き出しつつ、すっきりして次の日の仕事に赴くのである。

人間ストレスの捌け口がないとやってられない。溜めすぎると自分の中に向えば鬱病となり、外に向えばDQNとなる。お手軽なストレスの捌け口は用意しておいたことに越したことはない。ストレスの元になっている人を名指しで愚痴るという点もありだが、陰口のようで何となく後ろめたさがあり、諸問題を起こすことも多い。

その点政治批判はお手軽である。「あの党に投票してこれかよ!もう投票しない!」「賄賂で逮捕かよ。だから投票したあの人が当選していればよかったのに」などなど。ネタは尽きない。一票入れれば公然と批判する権利を得るのである。そして後ろめたさもない。投票しているからだ。今のところあの党、人に入れてよかった〜と思う事は幸いにもないので簡単に愚痴ネタを作ることができる。

だから、無投票というのは頂けないのである。何故なら、これは候補者が居ないから拒否しますという意思表示ではなく、どんな人が当選しようとも無批判で私はそれを受け入れますと宣言しているからである。無投票は拒絶ではなく、白紙委任なのだ。これでは愚痴れない。本当の意味で拒絶をしたいのであれば、徒党を組まねばならない。投票率を10%とかにして選挙を無効にするのだ。現状投票率は60%程度だし、今度の投票率は結構あがるらしい。そんな状況では、たとえ本人が拒絶のつもりでも、投票結果はそれを白紙委任と見なすのである。自己責任と言われればそれまでだ。結果はどんなものであれ、投票しないことには愚痴れないのである。

そういうわけで、愚痴るネタを作るために今日も投票にいくのである。
ちなみにこんな私だが、好きな言葉は「責難は成事にあらず」だったりする。矛盾に満ちあふれているのもまた人である。