Jの衝動書き日記

さらりーまんSEの日記でございます。

自らを信じるとは

「自信が持てない」―現代の「ウツ」に潜む悩み ――「うつ」にまつわる誤解 その(20)|8人に1人が苦しんでいる!「うつ」にまつわる24の誤解 泉谷閑示|ダイヤモンド・オンラインという良コラムがあったので、反射的に書いてみた。

自信が持てないな〜と思うことは多々ある。だが、同時に疑問に思っていた。分をじるのに何故根拠が必要なのかと。その疑問は上記コラムである程度解消が出来た。

自信が無いと感じる時は、大概未経験の事をやる時である。先行きが見えないものに対して不安を感じ、やり遂げる事が出来るか確信が無い。ゆえに自信が無いとなる。

ならば簡単だ。経験すれば、少なくとも未経験ではなくなるので、自信が持てる土壌が出来るのではないか。確かにその通りだが、当然の事ながら未経験な事項は永久的に無くならない。故に自信は持てないわけである。物事が思いとおりに成し遂げられる=自信がある、という意識が根底にあるためだ。成功しないかもしれないことには自信が持てない。

昔からこういう思いはあった。学べばそれなりに出来るが、それから外れると途端に駄目になる。応用力が無いのである。例えば料理。それなりのものを作ることは出来るようになったが、レシピが手元にないとまったく駄目である。自分で料理するようになって4年近く経つが、そういうわけで未だに自信が持てない。噂の東京マガジンに登場するトンでも料理を作る人達を笑えない状態だ。

応用力を伸ばすにはどうすればよいのか。それをまた学ぼうとする。つまり、答えが存在することを期待して、そこへの最短の道を採ろうと行動しているのだ。そこには試行錯誤の道などない。そんなものは不要とすら考えているぐらいである。答えが存在するのに回り道などしてどうなるのだと。また、そのような暇もない。

だが、自信を持つためには試行錯誤こそが重要なのだそうだ。物事に対して自分で選択し、結果を出し、それを受け入れる。そうやって経験を積み重ねていく。これが大切なのだと。

確かにもっともだとは思った。試行錯誤を重ねる人にとっては成功も失敗も等しいものである。経験を重ねるという点においては。そのため失敗を恐れる必要もない。未経験な事項も必要以上に不安になる必要もない。それを乗り越えてきた経験があるからである。何をやってきたか。それだけが重要なことではない。いかに自分が物事に対して選択し、その結果を受け入れてきたか。それも重要なことなのだ。

ただ、それを養っていくのには、ますます困難な時代になるのかもしれない。今でさえ、ちょっとした疑問はぐぐって解決しまう。この便利さはもはや手放せない。仕事の状況も試行錯誤を行う時間的な余裕もない。今後更に情報が高度に整理されて行き、ますます知りたい情報に辿りつく時間は短くなる。試行錯誤の時間の確保はますます短くなる。

自信をつけるのにはまだまだ先になりそうだ。

ただ、こうも思っている。無償の愛を向けてくれる存在、向ける存在が出来るのであれば、少なくとも人生を生きていく自信は持てるのではなかろうかと。それさえもてれば十分なのかもしれない。