Jの衝動書き日記

さらりーまんSEの日記でございます。

今週の出来事など

世の中、今は頑張ろうでいっぱいだ。でも、あえて言うのであれば、頑張らないで、と言いたい。生きているだけで頑張っているのだから。先は長いんです。のんびり、力溜めて生きていけばいいと思う。

今週の雑感

原発事故のレベルが7と最悪レベルに位置づけられた。まあ、チェルノブイリ事故がレベル7+だとすれば、福島第一原発事故は7−といった状況だとは思うが、予断を許さない状況には違いない。
日本は、今まで原子力問題に関しては原爆という被害者の立場であったが、今回の事故で世界的な加害者にもなってしまった。進む方向は不確定ではあるが、原子力利用というものは、今まで以上にナイーブな問題になってしまった。最終的にどこに落ち着くのか。臭いものに蓋をしろ的な考えでタブー問題化してしまうのか、それとも鶏の頭的に事故の事をすっかり忘れて、もしくはあえて目をつぶって邁進し続けていくのか、それとも、難しいパズル化した問題を見事に解いて世界的なリーダの立場になるのか。今はわからない。
ただ、その方向は今後みえてくるとは思う。例えば、小学生の社会の授業。今回の事故をどう教えていくのか。昭和の世界大戦後の敗戦のように、自虐的な教えをするか。それとも、単なる天災上の悲劇という教え方をするのか。それとも、今回の事故がきっかけで、原子力管理の世界的な潮流が出来たと教えるのか。大変興味深くはある。長生きしたい理由が一つ増えた。

選挙のことなど

今回意識したのは、しょせん、自分の希望を他人任せにしても何も得ることはないということである。本当に叶えたい希望があるのであれば、自分で実現してこそだ。欲しいものがあれば、自分の力で手に入れるべきだし、駄目なら代換を考えるか、諦める。その努力もしないのに、たかが紙切れ一枚に託すのはいろいろ間違っていると思う。
では、選挙は何のために行くのかというと、応援するためだ。縁がある人がいるのであればその人を応援すればいい。そういった縁は、選挙期間だけの街頭演説や、やかましい選挙カーなどで出来るものではなく、その人の日々の行動で結びついているものだと思う。そういった縁があり、なお応援したいのであれば、そのまま投票すればいい。見返りなど求めない。と、いうかたかが紙切れ一枚にその価値はない。見返りを求めていいのは、それと同等ぐらいのものを与えたときだけだ。
とはいえ、立候補に縁などはない。だから、今回は、応援したくなる人を選んでみた。
それは、議員になったら自分がやりたいことをはっきりさせている人である。「皆様の声を聞いて反映してきます」というのは、聞こえはいいが、ようするにこれは議員の身分になりたいと宣言しているようなものだと思う。何がやりたいのか、やる能力はあるのか。顔がみえてこないのだ。
議員になる人は、市民の、県民の、国民の代行者たる責任はあるが、議員とて同じ人である。何がやりたいかのプランはあって然るべきだし、自分の希望もきちんと示せない人にそもそも「皆様の声」とやらを取りまとめることなど出来るわけがない。
議員になってやりたい何かがある人と、ただ議員になりたい人。どっちを選ぶかといえば、やりたいことがある人に議員になって欲しいものである。